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2022.10.09

暮らしのコラムVol16「民話未満採集」

8時前に起床。少し寝坊したから、今日は近所の喫茶店、アスコットのモーニングを食べることにする。アスコットで働く一家は、みんな僕らの息子の道史(みちひと)をかわいがってくれる。それがとても嬉しい。アスコットに暮らす山陰柴犬のバニラと僕は良い友人関係を築いている。この日も挨拶をした。道史は足の裏を舐められて、照れたような顔をして笑った。

朝食を済ませて、みんなで海でも見に行こうということになる。晴れた朝。まだ9時台で汽水空港の開店まで余裕がある。海まで続く道を運転しながら、ふと滝が見たくなり、「今滝」へと行き先を変更した。滝までの遊歩道には、高さが20メートルを超えるであろう古い樹がたくさん生えている。車で6、7分運転するだけで、昔から変わらない景色を見ることができる。本当に素晴らしいことだ。

久々に見る今滝はダイナミックで、滝壺へ落ちる水の衝撃でそこには常に新しい風が生まれている。「風はどこから生まれるのか」は、未だ解明されていないとどこかで聞いたことがあるが、僕は今日、風を生むひとつの場所を見つけた。風は滝から生まれる。今滝には龍の信仰があり、小さな祠がある。ここで風が生まれ、落ちた水は東郷湖へと続き、やがて海に流れる。ひとつの大きな水と風の流れを昔の人は「龍」と表現したのかもしれない。祠へ3人分のお金、15円を入れて祈る。「土地と親しめますように」という祈り。最近の自分のテーマだ。

民話未満採集 写真1

滝を見てもまだ時間には余裕があり、やはり海も見に行くことにした。その道すがら、以前から気になっていた場所にも立ち寄ることにした。
山陰道へ乗る直前に、右手に小さな池が見える。10年間ずっと気になっていたが、今日はその池も見てみることにした。池は「原池」という名だった。小さな桟橋から水面を見ると巨大な鯉のような魚が何匹も群れをなして泳いでいた。「道くんが釣り竿を担いで、いつか自転車でこの池に来るかもしれないね。」と、妻の明菜に言うと「えー、池で溺れそう。」と心配していた。僕は自分の小学生時代を思い出した。大人は池で遊ぶな、危険だと言っていたが、そう言われるほどに僕は池に行きたくなっていた。道くんがどうか溺れませんように。

もう一箇所、海沿いにある喫茶店もずっと気になっていたので車を停めて覗いてみた。泊の海沿いにある最高の立地に「画廊」と看板を掲げた喫茶店。店の名は「さざなみ」という。いつのまにか閉店してしまって、いつか行こうと思っていたその願望を叶えることはできなくなってしまった。店主はどんな人で、どんな画家がこの喫茶店に出入りしただろうか。

海でしばらくボンヤリしているうちに昼になり、僕はそのまま汽水空港で降りて店番をする。オープン日にはいつもその日の写真と、なんらかの情報をSNSでアナウンスする。今日は「民話未満採集」を始めたことを告げた。民話未満採集とは、文字通り民話にも満たない、数年~数十年前の過去の話のことだ。店の前にある東郷湖について、この地で暮らす70代の人が、10代の頃はこの湖で泳いで対岸の露天風呂に侵入し、怒られたらそのまま湖に飛び込んで逃げたというエピソードを聞かせてくれた。少し前までは対岸の羽合温泉まで渡し船が通り、船着き場ではソフトクリームが売られ、インベーダーゲームを楽しめたという話も聞いた。僕はこの町で暮らして約10年。この湖が泳げるほど綺麗だったことも、船が行き交う風景も知らなかった。だがこうして話を聞くと、その風景を再び見られる未来が来る可能性もあるのではないかと思える。水は時間の経過と共に汚れる一方ではない。未来に向かって綺麗になる可能性もあるのだと思える。過去の日常風景を聞く前と後で、僕は湖を見る視点が変わっていく。自分が直接体験してはいない、船着き場で味わったソフトクリームの味やインベーダーゲームの楽しさを想像する。すると、少しだけ自分と湖の接点ができたような気になる。「土地と親しむ」というのは、その土地が生み出したもの/生み出し続けるものと自分との間にどれだけの結びつきを感じられるかということだ。今自分が暮らしているこの土地の、半径数百メートル圏内にあるあらゆる物事を、僕は改めて知ろうとしている。

民話未満採集 写真2

転勤族の家庭に生まれた自分はどこがふるさとであっても構わないという感覚の中で生きてきた。そんな自分に去年、息子が生まれた。彼はこの土地で生まれた。彼と一緒にこの土地に親しんでいきたいという気持ちが芽生えてきたのだ。どんな動物が暮らし、どんな植物が生きているのか。土地が持つ地形や気候は過去の人々にどのような信仰を生み出したのか。その歴史の先で、どんな人々が今生きているのか。これからどんな風景をつくろうとしているのか。それを知っていきたい。

僕は汽水空港という本屋をしている。本は過去の人が示すひとつの生きた記録で、今を生きる人へのメッセージでもある。僕は本屋の仕事を「人類が抱き続けている願望に気付くこと、そしてそれを人に届けること」だと考えている。大げさで壮大なことだと人は笑うかもしれないが、本気でそう考えている。暮らす場所の「民話未満」を採集することも、本屋のひとつの仕事になり得るのではないかと思う。

午後、喫茶店さざなみに関する民話未満の話を倭文神社の神主さんが教えてくれた。彼が描いた絵の写真も送ってくれた。これから僕は海沿いのさざなみ前を通る度に、きっとその絵を思い出すだろう。神社で程よい木の枝を拾っては店内に飾っていたというエピソードを思い出すだろう。直接的な体験でなくてもいい。これから通る様々な道、眺める場所に潜む記憶を感じたい。それが僕にとって土地と親しむということで、親しみが増すほどに身体が馴染んでいく予感がある。そして土地と身体が馴染んだその先に、呼吸すること自体に小さな喜びが含まれるような、そんな状態があるような気がする。

民話未満採集 写真3

Writer profile

東郷湖湖畔沿いにセルフビルドした本屋
汽水空港

モリ テツヤ